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【重要アーカイブ】③原田広美*心理療法家になったわけ*修行時代の思い出*私が泣く時*神田沙也加さんの死と、松田聖子を想う

⭐私・原田広美が心理療法家になった理由(わけ)



私の仕事
今では心理療法家の私ですが、元は高校の国語教師でした。

一生の仕事にする予定でしたが、30歳で心理療法家に転身しました。実は、学生時代から心身の解放や自己表現を学びました。母親と難しく育ち、学級委員や中高はバレーボールにいそしむも、奥底の自信は踏みにじられ、積極的に見えても自閉的でした。

つまり抑圧を受け、本質を理解されずに育ったためです。そして教師になったのは、親から理解されない生徒も、受け入れてくれる大人が学校にいれば、助けになるだろうと思ったからです。

25歳で結婚しました。夫は私に対して理解がありましたが、長くモラトリアム期がありました。私は苦しく、相談する人もなかったため、夫が学び始めた心理療法に目を向け、心身の解放や癒し、心理学などは、東京にあるほとんど全部に足を運びました。

いくつかの心理相談や心理療法の講座を国内外の先生方から学び、資格を得た後、1991年に教師を辞してアメリカ西海岸に3ケ月の短期留学。帰国後、夫と「まどか研究所」を設立しました。

3年後に出版できた、『やさしさの夢療法』日本教文社は、東京でリッキー・リビングストンに学んだゲシュタルト療法がベースです。

内容は、過去から現在、特に幼年期からの親子関係に由来するトラウマ、抑圧、コンプレックスに気づいて解放するワークが中心です。

対話の他にも、夜に見る夢やクレヨン画、ロールプレイを伴うサイコドラマetc.を用いて学びました。

私はその学びの中で、夢の一つであった本の出版のための「材料と表現力&自己信頼」を得ることができました。私の親戚には本の筆者は誰もいなかったので、始めは大それた夢に感じられました。

その後、オウム真理教事件が世間を騒がせ、精神世界と言われるジャンルが崩壊する余波を受けた中、まだ30代の半ばだった1999年、私は心身と表現への造詣を生かし、舞踊評論家への扉を叩きました。

舞踊評論家の時代には、舞踏の本を出し、雑誌や全国紙(朝日新聞、東京新聞を含む)にも記事を掲載、国際交流基金の助成で何度か渡欧。国際的なダンスの歴史&現在を扱う本も書きました。

そして2018年、念願だった『漱石の<夢とトラウマ>』新曜社の刊行を契機に、心理相談&夢実現の「まどか研究所」の仕事に主軸を戻して、現在に至ります。

夫の成志も、4冊の本を上梓し、そのうちの1冊は、かつて3年間務めた清泉女子大学ラファエラアカデミアの講座で、毎週行ったワークを集めた『私を救うイメージセラピー』第三書館。

最後の1冊は、ゲシュタルト療法を生み出したフリッツ・パールズ自伝の翻訳で『記憶のゴミ箱』新曜社です。よみうりカルチャーを始め、話し方教室の講師としても人気があります。

また、私達のそれぞれの最後の一冊は、ポーランド人の元精神分析家アリス・ミラーの『魂の殺人』=(厳し過ぎたドイツの家庭教育と ナチスの台頭を結ぶ内容を含む)、および小熊英二の『1968』を刊行している、憧れの出版社の一つであった新曜社から出していただくことができました。

私達はこのように、鬱やモラトリアム、苦悩を深層心理から癒し、解放することで、夢を叶えて来ました。

また私の高校時代からの親友は、統合失調症で入院を経験しつつも、シングルマザーにも関わらず一人前の研究者として働き、子供を医者にしました。

このような私ですが、今もなお、お客(クライエント)様から、学びつつ歩んでいます。なぜなら悩みも夢も、状況も症状も、過去もなりたい自分も、皆一人一人違うからです。

関連投稿→私が心理療法家になるための修業時代の思い出から*ブログ→https://bit.ly/34lupnr
◇関連投稿→私が泣く時→*ブログhttps://bit.ly/3AYy7Q4

ブレスインテグレーションについて*ブログ(1)→https://bit.ly/3gftBTR
ブレス・インテグレーション&家族画(2)→https://bit.ly/3IOdR6q

ゲシュタルト療法ベースの夢療法(1)→https://bit.ly/3rkU9Jt
ゲシュタルト療法ベースの夢療法(2)→https://bit.ly/3sb9awL

◆原田広美(「まどか研究所」心理相談&夢実現)03-5684-2563
ホームページ→ madokainst.com/
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