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【重要アーカイブ】②原田広美&成志の[書籍]達~前書き/後書き(集)/書評~夢療法&パールズ&家族画&リッキー・リビングストン

4.夢解きセラピーで何が起きたの?(『やさしさの夢療法』前半を要約!)






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🌒夢は、あなたを守る無意識からのメッセージ!


前回のブログ(四大記事3)、ご覧いただけましたか?

ダウジングで出版できた『夢の本』!☞ https://amzn.to/3wMCyui上の写真の本のことです。

ダウジング(振り子)は、水脈・鉱脈をはじめ、常識や思い込みにより通常は察知できない、

無意識下で賢く感じているセンサーの声を呼び起こします。

 

それと同じように夢も無意識下に潜む「最も賢い(ピュアな)センサー」が、

あなたの常識や思い込みにとらわれずに、

「深層心理で感じている情報」をあなたに伝えて来るのです。

 

ですから繰り返し見る夢は重要で、夢が何度もあなたに同じことを伝えようとしています。

それが悪夢の場合には、現実になって現れるのを防ぐことができます。

 

特に、繰り返し見る夢や、悪夢のワークでは、重要な気づきを得られることが少なくありません。

このような夢のワークは、あなたのお守りのようなることでしょう。

そして、どのような夢の中にも、悪い影響や傾向を防ぎ、あなたを守って助け、将来を開く方向へのヒントも、必ず示されているものなのです。

そのような夢のメッセージを読み解けるようになったらなぁ、と思いませんか?



私は今朝、思いがけず、フロイト派の精神分析と、ユング派の精神分析も経験されたことがある、という方から連絡をいただきました。

その方は、若い頃の夢で鮮明に覚えているものが少なからずあり、それらは「予知」的であったということです。夢は現実とリンクして、重要なことを伝えているという訳ですね。

そのように「夢が予知」してくれることを生活に生かし、自分を守って育て、人生を豊かなものにしてみたいと思いませんか?


(その上に、この本で扱っているゲシュタルト療法ベースの〈夢療法・夢解き〉は、精神分析から発展しつつも、

フロイトやユングよりも新しい時代の、セラピーの国際的な”るつぼ”と化した戦後のアメリカ合衆国のニューヨークで発展した、

いわばモダニズムの時代のフロイトやユングに対して、

ポストモダンの時代の〈夢を見た人〉独自の感性を用いて個々人のレベルで丹念に解いてゆく方法です。)

 

人間関係、恋愛、進路、仕事、ちょっとしたことにも、大きな選択にも、

自分の中の「賢い自分」が送って来る「夢」を生かせば、ブレることがありません。

たとえば危険が、夢の中で猛獣として表れても、夢を読み解き、現実に生かしてゆくことによって、

危険を意味する猛獣は、しだいに姿を変え、最後には可愛いチワワになるかもしれないのです。

 

は、現実(原理原則)を担う左脳ではなく、右脳(イメージ・直観)の産物なので、夢の言葉(モチーフ)の解き方になれる必要があります。

その方法は、後で説明して行きましょう。


そして夢を読み解くと共に、

どのようにそれを生かし、危険や災いから自分を守り、最善の選択をしてゆけばいいのか、という方法を知ることも重要ですネ。

 



 

🌒夢解き(夢療法)の土台のゲシュタルト療法と精神分析の関係


私の夢解き(夢療法)は、ゲシュタルト療法が土台です。

それを創始したのは、フレデリック・パールズ(↑若い頃の写真)という、元はフロイト派の精神科医だったユダヤ系のドイツ人でした。

 

精神分析を創始したフロイトは、

1900年に同じドイツ語圏のオーストリアの首都ウィーンで、『夢分析』を出版しました。

夢は、無意識への王道と言われます。

 

フロイトは、当時の女性に多かったヒステリー(身体が反り返り、硬直してしまうなど)の原因が、

無意識下での「情動・欲動・感情」の抑圧にあるのではないか、と考えました。


第一次大戦ではドイツ兵として出征し、当時のヨーロッパの中心でもあったベルリンで表現主義の演劇も好んだパールズは、

「心身(身体と無意識)の関係」を重視して、フロイトのグループから離れていました。

 

やがて第二次大戦前夜から、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が始まると、

ドイツを脱出してオランダから南アフリカへ渡り、戦後にはニューヨークへ渡りました。

 

そこで戦後生まれの新しい「心理療法」として、「ゲシュタルト療法」が確立されてゆきました。


   ↗ そんなパールズが、破天荒な生涯を語った自伝(原田成志・翻訳/新曜社)

 



↗ 私に「夢療法」を教えてくれた、リッキー・リビングストン先生

 

 


  ↗『やさしさの夢療法』日本教文社は、「ノンノ」「モア」「とらば~ゆ」「ミスティ」「健康現代」「名前のない新聞」などの他、

『「夢」を知るための116冊』創元社 にも、古今東西の夢の本、精神分析、心理学、心理療法、夢占い、夢についてのルポルタージュ、小説などと共に、掲載された。

書評:甲子園大学(心理学)安村直己 教授

 

書評の文末には:これらのワークは「健康な自己愛」(自尊心)を育み、確かめていくことを目的としているように思われる。

中略)ゲシュタルト療法の夢のワークを自らの人生に積極的に取り入れ、

「夢」をまさに実現させて生きてこられた著者の証とも言える本である。と、あります。

 


🌒私自身の、夢療法の記録


さて「母親に抑圧されて育った少女が、やさしい彼に恵まれても解決できなかった問題を、高校教師をしつつ、20代のほぼすべての週末に、心身の解放と、心の癒しを学んで幸福を手にした私」にとって、

夢療法は、どのようなものだったでしょうか。

この本は、すでに20数年前に刊行された本ですが、30才で高校教師(国語)をやめる前からの夢のワークが書いてあります。

崖の夢をワークして、自分のことを素晴らしい人間なんだと感じることができた、とか

雅子様がお嫁入りされた頃のことですが、大相撲の曙(あけぼの)の本名がチャドという名であったと、夢で知った。後からそれが本当と分かって驚いた、とか、

あるいは私にとっては本当に思いがけなくも、アメリカに勉強にゆきなさい、という夢。や、

あの生徒はニコニコしているけれど、本当は違和感を持っているらしい。という警告や、

ある女友達を私自身は夢の中で幸福感に包まれて大事にしているが、彼女からすると、それほど心地よくはないらしい、などなど..。

 



 

しかし、最も大事だったのは、幼年期からの家族との関係に関する部分です。

上は、当時20代の後半になっていた私が描いた、思春期の頃?の、家族の絵です。向かって右が、私です。

ブログでも前々回、続「愛と癒しのブレスインテグレーション」+「家族画」!! として、

幼年期からの家族との関係が土台になるトラウマについて書きました。➡https://bit.ly/3j6VyQk

 

私の場合、高校生になって以降が、大変に難しい時期でした。

私は中高ではバレーボール、教師時代には演劇部や文芸部の顧問をしましたが、

少々勉強ができるのが取り得という程度の文学少女でした。

 

上の絵は、難しくなって以降の時期を無意識的に選んで描いたのだと思います。

私が膝を折っているので、妹の方が背が高くなっています。

 

現在、妹の家族が父母と同居していて、皆とてもうまく行っています。

妹も小さい頃から同居を考えていたようです。

私の感触では、妹の方が家族の価値観に合っていたように思うのです。

 

私は就職後に一人暮らしを経て、結婚しました。

今の住まいは、私の実家からは離れています。

ですが今では、父母や妹も、私のことを面白く思って応援してくれているようです。

 

今は、すべてがいい具合に廻っています。

でもこれまでには、いろいろな時期がありました。

しかし、ちょうど『やさしさの夢療法』が出せた頃から、良い方向へ転換し始めたと思います。

それは教師をやめ、セラピーを仕事にして、3~4年が経ってからでした。

 



🌒横に立てた柱の夢、りんごの夢のワーク


それほど夢に注目していなかった私も、夢の講座に通い、夢日記をつけるようになってから、夢に対してグっと意識が高まりました。よく思い出せるようになったのです。

「横に立てた柱の夢」は、私にとって大事でした。

当時は、親について悪くいうことさえ許されない空気がありました。児童虐待、ネグレクトなどは、本当にごく最近の話題なのです。

 

ところでゲシュタルト療法を土台とした夢のワークでは、夢の中に登場するすべての「人・動物・モノ」を自分の一部だととらえます。

 

夢全体、

そして最も印象的な場面、

その中の人やモノなどを客観的に語り直し、

その後、「今ここ」の感覚を重視した「現代形」で、さらに語り直します。

 

時にはクレヨン画に描き、表現のチャンネルを変えることで「気づき」が増します。

 

また、その人やモノの性質やイメージをよく語り直した後で、「ロールプレイ」と呼んでいるのですが、

一人称で「私は机です。私は、今~です / ~を感じています」などと続けて演じてみます。

 

それらを続けてゆくうちに、夢の中の一つ一つや、つながりが、

日常や思い出の中の何かと重なっている、などの「気づき」が得られ、

夢の言葉が解明されて行きます。

 


 

「横に立てた柱の夢」は、平均台のように柱を横に渡して、母と妹が「これで、できた!!」と拍手をする夢なのですが、横に立てた柱になってみる(ロールプレイしてみる)と、

まず柱は縦に立てるべきものだろう、ということがあるわけです。これは、夢の中のすべてのモチーフが、自分自身であるという捉え方を教えてもらって実感できたことですが、

家族による、私への扱い/捉え方の勘違いを、「やっぱりそうなんだ」という内面からの深い「気づき」として得ることができたのです。こういう所が「自信のあり・なし」に大きく影響します。

人から理解されるはずがない、という自信喪失と孤独感の中にあった頃には、自信を持っている人は、すべて「思いやりのない」加害者のように感じてしまう時期さえあった私です。

 



 

次に大きく私の人生の扉を開いたのは、「りんごの夢のワーク」です。

私の家では、家長制度があった時代のように、といってもそれほど厳格な父でもなく、ユーモアもあり、人に対する理解もかなり寛容な方だと思うのですが、父が大事にされていました。

そして「りんごの夢」では、お客様が子供部屋に来ていて、母や妹などと一緒に円座していました。お客様にロールプレイをして演じてみると、そのお客様が父でした。

私はと言えば、奥の部屋で、お客様に出すはずの「りんご」をむいていました。早くむいて出さなければいけないと思うのに、むいた4つのりんごをすべて、その場で食べてしまうのです。

 



 

これは夢の中では罪悪感がありました。しかしリッキーは、夢の中で自分でも知らないうちにしてしまっていることは重視した方がいいという立場でした。

まあ、後から思えば「りんごは知恵の実」でもあるのです。私の両親は農家で育ち、学校卒業後は、別の職業につきましたが、時代の都合もあり、高等教育は受けそこなっているのです。

インテリジェンスはそう奨励されず、学校も真面目に行けばよく、塾に行く、参考書を買うなどもなく、教師になるという目的はあれど、4年生大学にはよく行かせてもらったものだと思います。


日記を書くとか、読書は、母が好きなことでした。ピアノや書道を習わせてもらったり(私はダンスや英語が、習いたかったかな?)と、大事にしてもらったのだと思うのですが・・。

このワークでは、家族に奨励されなくとも、自分が家族4人分の勉強をしてしまっても罪悪感を持つ必要はない(妹も勉強が不得意・嫌いではなかったのですが)、という点が重要でした。

今このように書くと、簡単なことに思えますが、当時は発熱するほど大きな影響を得たワークでした。私は、そうして本を書いたり、30代の後半には舞踊評論も始めたのですから。(現在は、再び「まどか研究所」の仕事がメインです)

 



 

🌒長くなりましたので、ここで本日は終わります!


でも、きっと夢療法が、どのように役立つのか、インスピレーションや、日常的な常識や思いこみに影響されない深層のセンサーが、どのようなことを伝えようとしているのか、

自分を生かしていくために、どのように役立つのか、伝わるところがあることを願っています。

その逆方向に行ってしまうと、人生の充実感を得るために、途方もない遠回りをしてしまったり、感情や情動(夢・熱意・生きがい)を心身に閉じ込めることになり、自然治癒力を弱めます。

心身の病に対しても、各々の資質もあるにせよ、私達はまったく無力というわけではないのです。

(2020年のコロナ禍下の5月には、夢解きZOOMセミナーを5回行いました。今年2021年も『やさしさの夢療法』電子書籍版の発行後に、再びZOOMセミナーを予定しています)

そのようなお知らせも、また随時おこなってゆきたいと考えています。

  ⇒


↓「まどか研究所」のセッションの内容を一部紹介



★「まどか研究所」心理相談&夢実現 http://madokainst.com/

 
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