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HOME//ブログ//★ゲシュタルトの祈り~バレンタインデーに、「パールズ自伝の翻訳者」夫・成志にちなんで!

【重要アーカイブ】①ゲシュタルト療法とは/対面は渋谷や都内各所&出張でも/カウンセリング・認知行動療法・NLPとの違いとは?/なぜアートセラピーなのか

★ゲシュタルトの祈り~バレンタインデーに、「パールズ自伝の翻訳者」夫・成志にちなんで!



 

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ゲシュタルトの祈り
GESTALT GEBET

私は私のために生きる、あなたはあなたのために生きる。
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

私はあなたの期待に応えるために、生きるのではない。
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –

そして、あなたも私の期待に応えるために、生きるのではない。
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

私は私、あなたはあなた。
ICH BIN ich und DU BIST du –

でも偶然が私たちを出会わせるなら、それは素晴らしいこと。
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,

たとえ出会えなかったとしても、それは仕方がないこと。
wenn nicht, dann ist auch das gut so.

フレデリック・パールズ
Frederick Perls

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☆☆フレデリック・パールズ(1893 - 1970年)とは誰ですか?



↑ フレデリック・パールズ自伝『記憶のゴミ箱~パールズによるパールズのゲシュタルトセラピー』    新曜社/原田成志(訳)

「ゲュタルトの祈り」で有名な、フレデリック・パールズ(フリッツ・パールズ)は、ドイツ生まれのユダヤ人の精神科医でした。

第一次大戦にドイツ人の衛生兵として参加し、毒ガス戦に巻き込まれ、ようやく帰郷するも、すぐに、第二次大戦前夜から、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人に対する強制収容・大虐殺)の時代に突入。

パールズは、後に「ゲシュタルト療法」を共に創始する妻ローラと、ドイツを離れ、オランダ、南アフリカを経て、やがてニューヨークへと渡りました。

精神科医として、精神分析から出発したパールズでしたが、ドイツ時代から、精神分析のフロイトよりも、さらに身体と無意識の関係に関心を深めたため、フロイトとは袂(たもと)を分っていました。

(パールズは若い日をベルリンで過ごし、表現主義演劇のマックス・ラインハルトの下や、マルクス主義の勉強会にも出入りしました。)

その後、戦禍を逃れて渡米した、同じく精神分析医出身のライヒやパールズは、戦後のニューヨークを中心に、「精神分析」から「心理療法」への、新しい時代を切り開く先駆者となりました。

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☆☆『ゲシュタルトの祈り」に対する思いと、私(原田広美)の思い出



皆さんは、「ゲシュタルトの祈り」を読んで、どのように思われましたか?

「私は私、あなたはあなた。」人によっては、冷たいなぁ、という声も聞こえて来そうです。

ですが「私はあなたの期待に応えるために、生きるのではない。」
そして「あなたも私の期待に応えるために、生きるのではない。」

その上で、互いを尊重し合って助け合い、「共存」できたら、幸せですよね。

「共存」の反対は、何でしょうか?「依存」や「共依存」という問題があります。

私には「ゲシュタルトの祈り」に対して、長い間「共依存」に苦しんだ女性から、メッセージをいただいた思い出があります。

その女性は、癌をわずらい、すでに末期でした。ひょんなことから、facebookのお友達になり、私の基本データに記してあった「ゲシュタルトの祈り」をご覧になったのです。

そして「最期にこれを読むことができて、とてもよかった..大変にすっきりしました。」という、メッセージをくださいました。ただ「私は、娘の人生を台無しにしてしまいました」という言葉もあったのは、切なかったです。

深層心理の中に埋もれた「愛と怖れのありか」を見出し、抑圧された感情を解放して、まずご自分を愛することができたら、よかったのですが・・。

自分の愛し方が分からない親に育てられた子供が大人になると、やはり自分の愛し方も、子供の愛し方も分からないまま、怖れにしがみついてしまうものなのですネ。

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★「ゲシュタルトの祈り」に対する、パールズ自身の思い




(↑ 原田成志、『依存からの脱出』柘植書房新社という著作もあります。)

★今日は、バレンタインデーなので、彼に花を持たせたご紹介をさせていただきますネ!

成志は、中学生の頃から卓球部・陸上部などで活躍しながら、フロイトを読むような少年でした。その後は、パールズと同様に、社会に関心を持ち、演劇も経験。

私も10代終わりから、心身の解放を学びましたが、かつて高田馬場にあった「東京ゲシュタルト研究所」(所長:リッキー・リビングストン)を見つけたのは、成志です。

成志は後に、パールズ自伝『記憶のゴミ箱』を翻訳。またパールズとローラが設立した「ニューヨーク・ゲシュタルト研究所」の唯一初の、日本人会員です。

★★★

さて「ゲシュタルトの祈り」には、ホロコーストの時代を生きたパールズの深い思いが込められています。

歴史的に、差別を受けたユダヤ人達は、ナチスによるホロコーストも、どこか本気にしなかったと言うのです。また自らが住む国や土地を離れ、国境を越えての逃避を躊躇する者も少なくなかった、と言いいます。

パールズは、強制収容所のガス室で亡くなった、数知れない親戚や友人・知人を心から惜しんでいます。

でも、「あんなに逃げないと危ないよ」と声をかけても、なかなか伝わらなかったなぁ、というやりきれない思い(無念)が残りました。

そんな悲し過ぎる思いが、「私は私、あなたはあなた」なんですね。

いくら声はかけられても、最終的には「人は自分の責任しか取れないんだなぁ」ということだったのです。

これが、パールズが「ゲシュタルトの祈り」を書いた理由です。

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☆☆最後に、もう一枚、パールズの晩年の有名な写真を



これは、パールズの晩年の有名な写真です。カリフォルニアに新設されたエサレンというニューエイジの実験場に呼ばれて、教えました。

ゲシュタルト療法のことは、また別の機会に書きますが、

フロイトの流れを汲む、「エロスやタナトス」と言われる「情動のエネルギー」の解放や癒しと共に、

禅にも通じる「気づき」の重要視も、新鮮ですネ。ドイツに生まれ、アメリカに渡ったパールズですが、禅にも憧れ、京都の禅寺を訪れたこともありました。

では今日は、ここで!!

(文責:原田広美)*無断転載は、ご遠慮ください。
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