I.K.さん、その後2年目のコラージュの感想!!

アートセラピーの一つとして、コラージュのワークがあります。
私は小学生の時、友人が性的暴行を受けた場面に遭遇し、恐怖の中、小学生が出しうる限り ( か、それ以上の ) 勇気でその友人を助けました

ですが〈性的〉なデリケートな事件であったために、周囲の大人達はその翌日から「まるで何事もなかったかのよう」に、私に接しました。

別の言い方をすると、もしもそれが「友人が犬に噛まれた事件」であったならば、周囲の大人達は折に触れて「あの時は怖い中、よく勇気を出して助けたね。がんばったね」と繰り返し繰り返し言ってくれたかもしれません。

しかし事件の内容が〈性的なもの〉であったために、事件そのものが封印され、同時に、私の〈恐怖も勇気〉も封印されました。封殺された、とも言えます。

ゲシュタルトセラピー風に言えば、〈恐怖と勇気〉が「地」として「背景化・後景化」してしまいました。

その時に封印された気持ちを成仏させ得ないまま、何十年も過ごしました成仏できない未解決の感情は、ゲシュタルトでいう「未完の行為」かもしれません

「性とお金の話をするのに、日本人は恥や抵抗を感じやすい」と聞いたことがあります。そのせいなのかは分かりませんが、「〈コラージュ〉を用いたワークで、〈女性のヌード写真〉を貼るのは一般的には NG だ」という暗黙の了解があるように思います。それをすると「セクハラだ」、と言われる可能性もあります。

とは言うものの私はコラージュで、画用紙を女性のヌード写真で満杯にしました。そして私が写真を選んだポイントの一つは、女性が笑顔であることでした。

彼女達の笑顔を一枚すつ貼ってゆくたびに、不思議と身体 ( からだ ) がゆるんでいきました。〈ゆるむ〉と〈ゆるす〉は、語源が同じだそうです。恥や抵抗を感じやすい〈性というテーマ〉に対して、彼女達の笑顔は「あたかもゆるしを与えてくれているか」のようでした。

と同時に、私の中に「封印・封殺されていた〈恐怖と勇気〉」が、少しずつ解放されていくのを感じました。ゲシュタルト風に言えば、一般的には「地」であるだろう〈性というテーマ〉が、「図」として前景化してくれた印象でした。

英語で「表現」はexpress,「憂鬱」はdepressであり、「ex」は「外へ」という接頭辞だそうです。

「ヌード女性の笑顔を貼る」という表現(express)を通じて、何十年も私の「内」側でpressされ続けてきた〈恐怖と勇気〉が、「外ex」へと解放される1つのきっかけになりました。

別の言い方をすると、何十年もpressされ続けてきたために、身体 ( からだ ) の内部で、あたかも浮遊霊の如く渦巻いていた〈恐怖のエネルギー〉が、成仏できる1つの契機になりました。

ゲシュタルトセラピーは実存主義の影響があります。

実存は英語で、existence.です。成志さんの著作にもecstasyという言葉が登場します。性的なecstasyは、生命を誕生させるパワフルなエネルギーです。「笑顔のヌード女性で満杯」は、自分にとって、パワフルなエネルギーでした。

その様なエネルギーに後押しされる形で、私は封印していた私を「外ex」へ投げ出す(existence)ことができたのかもしれません。

別の言い方をすると「性的なecstasyというパワフルなエネルギー」は、「浮遊霊の如く渦巻いていた恐怖のエネルギー」を、「〈図と地〉の反転」へと導く、ダイナミズムだったのかもしれません。

事件当時の私は、恐怖と勇気を、周囲の大人から「抑」えつけられる(press)のではなく、笑顔で「迎」えられたかったのだ、と思います。

コラージュのワークでは、講師は広美さんでしたから女性で、参加者の中にも何人かの女性がいました。その女性達は、「笑顔」でコラージュの女性達の「笑顔」に応えてくれました。

このようなグループダイナミックスを通じて、性的ecstasyというダイナミズムが起爆してくれました。ワークの最中、一人でコラージュを貼っている間の時よりも更に、からだがゆるんでくれました。

その経験は、今後、(あの時の様に)勇気を出す大きな起爆剤になる、という予感があります。

Rubin vase, optical illusion, head girl