Blog ブログ

Blog

HOME//ブログ//【アートセラピスト養成講座】開講に向けて~日常や本業からのモードの切り替えが、あなたに何をもたらすのか?

お知らせ・ニュース!

【アートセラピスト養成講座】開講に向けて~日常や本業からのモードの切り替えが、あなたに何をもたらすのか?


⭐【アートセラピスト養成講座】開講に向けて(長文になりました)


⎯日常や本業からのモードの切り替えが、あなたに何をもたらすのか⎯本業をもレベルアップさせる




 たとえばウィーンの夏の国際ダンスフェスティバル「インプルス タンツ」の取材時にも、現地の若い女性スタッフに、「あなたの服装は、まったくアーティスティック過ぎる」などと言われ、


 国内でもダンス関係者に「原田さんは面白すぎる」と、言われたこともある。


アートは確かに好きで、私の『舞踏大全』や『国際コンテンポラリー・ダンス』を書いた根源も、
中学生の時に、美術の授業のスライドで、驚嘆しながら学んだ美術史に辿りつく。


でも中学の時の、私の本当の美術の先生とは馬が合わず、いつも通信簿の美術の評価は悪かったが、
ドライポイントで神奈川県のコンクールで優秀賞をもらったこともあった。


無学な家系で育ったが、母方は確かに美術・文学・ダンスの愛好者が多く、
私の子供時代の習い事は、ピアノと書道だった。(英語とダンスは習えなかった)



まあ舞台関係となれば、幼稚園で「白雪姫」の主役を当日のアクシデントで、私が急遽に代役で演じたり、
習い事のクリスマス会などでは、いつも私が勝手に演出をして、皆で寸劇を上演した。

思いもよらず、大学の教育学の第三世界からのワークショップで、
町やテーマに取材して、音作り、歌、詩づくり、朗読、体ほぐし、即興のダンスや、身体表現、舞台美術兼シナリオとしての大きな共同絵の製作をした。

また、すぐに参加者同士で打ち解けることのできるコミュニケーションゲームや、感受性を開くワーク..。

2~3日のワークショップの最中に、ジャージや勝手な作業着のまま、皆で町をうろうろする解放感も並み大抵ではなかった!!

美術館通いは、主に、東京に出て来た学生時代からだった。その前は、地域の何とか展とかは、よく行っていた。

そして、その後も、国内外の観光や取材で、美術館やアート関係の場所があれば、どこでも飛び込んで来た。

........
しかし、ここまでは、セラピーの話ではない。

 ここからセラピーの話になるが、クレヨンで夢の絵や、印象的は出来事や、物語の一場面の絵を描いたり、好きな色・嫌いな色や「家族画」など、テーマのある絵、自由画なども、いろいろ描いた。

でも、どちらかと言うと、たとえばリッキーに褒められていたのは、即興のダンスやパフォーマンスで、もう一つのブレスインテグレーションのプレ講座で褒められたのは、文章だった。



よく言われることだが、自分が得意なものを教えることのメリットとデメリットがあり、

ある程度は得意でないと教えられない、教える箔もないということもあるが、得意なものは自然とできてしまうので、初心者に教えるのが難しいということもある。

「得意でもないけど、憧れて努力した」くらいなものを教えるもいいのだとしたら、私はアートの分野に関して、かなりオールマイティーかもしれない。

........
ここでも、まだセラピーの話になっていないので、昨日書いていた<次回の漱石エッセイ>の内容を登場させよう。

漱石には、小説や随筆という本業以外の余技として、漢詩、書道、俳句があった。

だが『吾輩は猫である』を書き始める前後の1~2年と、『こころ』を書く直前に、「作画(水彩画、南宋画)」をたしなんだ時期がある。
それらは共に、神経衰弱が高じて、人生や執筆が上手く行かない時期だった。



 しかし前期の水彩画は、漱石を元気にして、胸の奥にしまってあった「作家への夢」をついに掘り起こして実現させた。
 後の、南宋画の『達磨絵」の後には、『彼岸過迄』『行人』を書きあぐねていた漱石が、あの名作『こころ』をわずか3カ月で書きあげた。

そして漱石の「作画」は、さらに続き、
※妻・鏡子との新婚時代を描くという~新境地の『道草』、
※また目が廻るほど鮮やかな展開を見せた絶筆『明暗』へと、
筆を進めるという輝かしい結果を伴った。

他にいくつかの余技を持つ漱石ではあったが、漢詩・書道・俳句と、すべて本業と同じく文字と言えば、文字の世界。

それと比較しても「作画」は、漱石の右脳のモードを活性化させて、行き詰りがちで神経衰弱も高じた危機を救い、マイナスをゼロにしただけでなく、大きくプラスへ伸ばしたと言えよう。

この辺りが、とりあえず「アートセラピー(絵画療法)」に通じる話ということになる。

........
私も『舞踏大全』を書きあげた直後には、久しぶりに、見るだけではなく、自分が「舞踏(ダンス)」に、一度、戻った。



いくつものワークショップに通い、公演もやってみた。

執筆のために舞台を見続けて、今度は、自分がやってみたくなったこともあったが、『舞踏大全』で執筆は燃え尽きた感があったからだ。

 しかし、舞踏の本を書いた後に、舞踏をやって、次の舞踏の本を書こうとしたのではない。

それは漱石が、本来の「執筆や文字のモード」を飛び越えた~「作画のモード」を取り入れることによって、「人生と創作の危機」を凌いで、「プラスに転じた」のと同様の発想である。

結局、舞踏の仕事で、ヨーロッパでのレクチャーや、ワークショップ、ダンスフェスティバルへの取材と流れて、『国際コンテンポラリー・ダンス』を書くことになった。

その中で、長年したためていた<漱石関係の原稿>を本にするための「題名」も見つかり、成志とやって来た「ゲシュタルト療法」が、「表現主義」系のセラピーであることも、思い知らされた。

『国際コンテンポラリー・ダンス』の執筆では、特に前世期からの国際的なアートの流れ、その中の「表現主義」と、「舞踏」や、「ゲシュタルト療法」のパールズとの関係、

そして、パールズとの交流や「ゲシュタルト療法(表現主義)」をベースに持ちながらも、バウハウス系の「構成主義やミニマリズム」までを加味したアンナ・ハルプリンのことも理解ができた。

 また、さらにハルプリンと、表現アートセラピーを創始したナタリー・ロジャース(来談者中心のカウンセリングやエンカウンターグループの、カール・ロジャースの娘)の関係までを理解することにつながった。

こうして円環的に、私は一回り賢くなり、ちょうど地球を一回りするほどの知的・物理的な旅をして、30年前のセラピストの仕事中心の生活に戻って来たのが、数年前のことである。
........
4月14日に、新たに「アートセラピスト養成講座」を開講する直前の「今」になって遅すぎる感はあるものの、開講に向けての思いと意図をまとめておきたかった。

 だが、ここまで書いても、まだ書き切れていない意図がある。つまり人生の中で家族や仕事の関係を含む人間関係に違和感を感じたり、課題があったり、



人生や仕事そのもののあり方に疑問や違和感、課題があることを感じ、悩んだような時に、考えるだけでは見えない道を見出して、選択肢と可能性を広げ、

 根源に痛みやトラウマがあるのならば、それを癒し、

漱石の人生や仕事と同じく、マイナスをゼロのみならず、大きなプラスにまで転じる力を「アートセラピー」は、持っている。



だから、それを学び、体験して、
自分と、自分の人間関係や、仕事や人生を開き、それを今度は人におすそ分けするためのワークショップやセッションをできるような入口までをトレーニングする。

これが—心理職と人間関係のお仕事の<実力と人間力>も養う「アートセラピスト養成講座」―設立の意図と主旨だと言うことになります。

そして最後に、(この講座で扱う「アートセラピー」の方向性の土台には、表現主義的なセラピーである「ゲシュタルト療法」と、アダルトチルドレンにも強い、ブレスインテグレーションのセオリーを位置づけています)
※私と成志も、これで人生を解放し、夢を叶えて来ました。

※絵画療法の他、夢・物語療法、コラージュ、イメージセラピー、そして一部に音楽療法も含みます。

SHARE
シェアする
[addtoany]

ブログ一覧