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とっても大事なセラピーの話

「夢解き」人生がどう開けるの? (『やさしさの夢療法』電子書籍化、決定しました! )


☆☆20年以上前、西池袋にセラピールームがあった頃のパンフレットより、一番濃い部分。
〈過去の書きかえ〉って、忘れたり、別の人になったりすることではありません。
意味の取り直し、たとえば相手と自分の「愛と怖れ」がどこにあったか?男女関係ばかりではないですヨ!それから無意識領域も含めてネ。☺️



☆「まどか研究所」原田広美のライン公式アカウントは➡https://lin.ee/A3SfkMi (今なら、原田広美のブログ3大記事に加え、セラピーとヒーリングの基礎である「家族関係に由来するトラウマの見方」+「夢解きテンプレート」の2大豪華プレゼントが、あなたのものに!!)

☆「夢解き」に限り、たとえば上のご案内にある80分や120分をお友達と2人でシェアしていただくことも可能です。古くても、新しくても、気になる夢を解いて行きますヨ!!そのためにも、まず15日に是非どうぞ!

➘の写真は、フロイトの『夢判断』と同じく、ドイツ語で書かれた小説『ヴェニスに死す』by トーマス・マンが、映画化(監督:ヴィスコンティ)された時の美少年からの借用です。


☆「夢解き」って、自己愛も他者愛も深まります!


抑圧やコンプレックスや、罪悪感や怖れから解放されて、自由に自分を輝かせることができたらいいと思いませんか? 恋愛も仕事も創作も、婚活も就活も、子育ても夫婦の関係も、心身の健康状態も、いろいろなことが良い方向へ動き出します!!自分のことが無意識レベルから分かるようになると、相手のことも分かって来るのです..

私自身は、特に抑圧的に私を育てた母親の影響から、子供の時には病気がちで、自信を喪失し、孤独感に悩まされたり、鬱になったり、自信のある人がすべて敵に見えたような時期もありました。

生まれ育ちの家族から離れ、理解のある夫と結婚したつもりが、夫婦間で難しい問題が持ち上がったり。

そうした中から「夢療法」を始めとするセラピーで、自分を耕(たがや)して這い上がり、30才で高校の国語教師からセラピストに転職し、「まどか研究所」を夫の成志と設立。何のあてもない所から始めて、夢であった本の著者に33歳でなることができました。

(これまでに自費出版ではなく、4冊の本を出版することができました。いま1冊目の本だった『やさしさの夢療法』日本教文社の電子書籍化を予定しています)

学生時代には仏教の無常観に憧れ、仏教説話で卒論を書いた私は、タイに寝シャカを見に行く旅を経て、夫が詩のコンテスト入選の副賞でイタリア旅行を得たことを契機に、30才を目前にヨーロッパに3週間の一人旅。フランス、スペイン、イタリアを廻りました。

この経験は、40代半ばの頃、当時は舞踊評論家に転身していた私が、ヨーロッパに視察・取材旅行に出かけ、『国際コンテンポラリー・ダンス』現代書館という本を出版するために大いに役立ちました。

 


 なかなか行かれないはずでも憧れていたヨーロッパに何度も足を運び、計12ケ月以上を過ごすという、思いがかない夢も叶ったのです。そして、そもそもの夢療法の大元である、精神分析のフロイトを生んだウィーンにも何度も行きました。

でも40代になってから再びヨーロッパに行くきっかけになったのは、下に写真のある2冊目の本です。戦後の日本のオリジナルとして、土方巽、大野一雄・慶人などによって生み出された(暗黒)舞踏は、1980年代には、フランスを入口に国際的に受け入れられました。

オウム真理教の事件で、「まどか研究所」が立ち行かなくなった後、私はセラピーやカウンセリングのセッションも続けてはいましたが、運よく1998年に思いつきで応募した日本ダンス評論賞に入選し、舞踊評論家に転身したのです。心身とダンスの関連性を感じていました。

フロイトは「夢は無意識への王道」と言いました。『やさしさの夢療法』の著者にはなれても、深層心理や無意識までを扱うセラピーやヒーリングは、主に精神不調の患者様を対象にした臨床心理士などの、白衣を着た先生方しか、信用されにくい時代があったのです。

その後、再び私が運をつかんだのが、ダンス評論賞の受賞でした。そこから舞踊評論家を始めて、ダンスや演劇の雑誌や新聞、「朝日新聞」「東京新聞」「現代詩手帖」、ウェブ媒体にも書きました。

これらの本は、すべて3大新聞などに出版社様が広告を出して下さり、書評も新聞などでいただきましたが、『やさしさの夢療法』は、特に女性誌などから取材を多く受けました。(また『夢を知るための116冊』創元社でも。)

(『やさしさの夢療法』の思いがけない出版経緯と書評、また先生のリッキー・リビングストンについての投稿は、こちらで! ➡ ☆ダウジングで出版できた『夢の本』): https://ameblo.jp/yumemakura1/entry-12589416220.html

そして両親からの抑圧を無意識レベルから解放した夢療法のワークについての投稿は、こちらで! ➡ ☆次は6月半ばかな?「夢解き」zoom無料セミナー(投稿の内容は『やさしさの夢療法』前半の要約)https://ameblo.jp/yumemakura1/entry-12592902060.html

 


今から120年程前、1900年にオーストリアのウィーンに住んでいた精神科医のフロイトが『夢判断』という本を出版しました。それまでは「無意識(潜在意識)」の領域は、一般にはオカルトの分野などとしてしか知られていませんでした。

フロイトは、精神分析の祖となり、「無意識」の分野を学問領域に入れました。ヨーロッパではキリスト教の価値観が優勢の時代から、近代的な科学が生まれて来る時代でした。

上の本の〈舞踏〉というジャンルは、戦後(1945年)、日本の価値基準が大きく変化した時期に、新た(1959年)に生まれた、アヴァンギャルドで芸術性の高い現代舞踊でした。三島由紀夫が絶賛し、澁澤龍彦や、私の恩師の種村季弘なども、初期のブレーンでした。

舞踏は、「心身の無意識の領域」にも感性と感覚を広げた身体・舞踊芸術なのです。私は、その本を私の仕事として、書きました。また舞踏(Butoh,ButÔ)が国際的になった1980年代は、舞台芸術でも、〈記憶・思い出〉という「無意識」的な領域が、キーワードになった時代でした。



上の中央の写真は、暗黒舞踏の創始期から活躍された大野慶人先生が、パレルモ(イタリア)でワークショップをした時のもの。左右(上下)は、思いがけなく実現した私の舞踏公演です。

私の舞踏公演は、思いがけなくウィーンで初演し、ポーランドやクロアチアへもツアー。私の処女作でしたが、2作品までで公演活動は封印しました。批評家とプレイヤーは両立しないからです。処女作のタイトルは、『Requiem~for a butoh dancer Tetsuro Tamura』でした。

30才までは高校の国語教師をしつつ、学生時代からほぼすべての週末に、心身解放と心理学などの講座やワークショップに通い詰めた私ですが、バレエやダンスの基礎はなくとも、即興で踊ると、よく褒められました。心身の解放と関連があると思われます。

それらの蓄積に、東京でいくつかの舞踏のワークショップで学んだものを生かし、小規模ながら公演とワークショップをウィーンを中心に行いました。舞踏のレクチャーも、ケント大学(イギリス)を始めとして、ワルシャワ演劇大学(ポーランド)やパレルモ大学(イタリア)などでも行う、という夢のような展開が待っていました。

この40代での、時には国際交流基金の助成もいただきながらの、〈日本文化紹介〉としての舞踏関連の仕事と、次のダンスの本の取材では、パリ、モンペリエ(南仏)、ロンドン、ブリュッセル(ベルギー)、パレルモ(イタリア)、ウィーンやリンツなど(オーストリア)、ワルシャワやクラクフ(ポーランド)、クロアチアの他、

仕事の合い間には、中学生の頃から憧れていたプラハ(チェコ)、ブダペスト(ハンガリー)にも行き、何とトランプ大統領の奥さんの祖国(スロベニア)も、車で通りました。当時は、まだオバマ大統領の時代でしたが。



私にしてみれば、ごく一般の高校の国語教師だった私に、このような人生が開けたのは、まずもって30才までにやりこんだゲシュタルト療法を始めとする心理療法や、ヒーリング(心の癒し)のお陰だと実感しています。

(先の夢療法の2本の記事と共に、私が勉強した深層心理からのヒーリング:心の癒しの内容は、こちらです。)➡ https://ameblo.jp/yumemakura1/entry-12582661181.html

特に高校教師からの転職は、気持ちの上でも経済面でも大変なことでしたが、両親の元を離れ、ここまで冒険的で豊かな生き方ができたのは夫のお陰も大きいと、つくづく思います。慣れないことの連続で、いつも大変でしたが..。

ですが、その結婚生活を続けるためには、高校教師を辞めた方がいいと判断しての転職でもあったのです。また、もう一つは学生時代から、学び続けた心身の解放(セラピー、ヒーリング、ect.)を

教師として、授業や生徒指導、部活動などにも生かしていましたが、とうとうそれが学校教育の場をはみ出してしまったな、と実感したからでした。



私は子供の頃から、ごく普通に子供を2人くらい産んで育てるのかと思っていましたが、それは叶いませんでした。ですが、知らないうちに自分にはそれが普通のことになり、ごく最近まで、それを振り返って惜しんだこともありませんでした。

それは母親と難しく育ったためであったかもしれません。しかし驚いたのは、私がいくつもの自己解放を果たしつつ、仲良くなった母親が、今では私を心から応援してくれることです。

母親は、私の人生をちょっと羨ましく思っているらしいのです。本当は、母親自身、あまり子育てに興味がなかったようなのです。だから子育てが下手だったのか。

いま既に80代ですので、時代のせいもあり、女性が人生をかけて仕事をする、何かをすることに対する許容が、母親の周囲にはなかったようなのです。

母親方の親戚は、私やいとこの代で始めて大学に入学しました。文化的な素養はあるのですが、表立って仕事をした女性は、いないのです。


抑圧を受けたための鬱や、結婚生活の矛盾を解決するためもありましたが、自己解放と癒しを学ぶうちに、私がそのような家系に突破口を開くことになったのは、興味深いことでした。今では伯母・叔母達も、私を応援してくれています。



つまり、これは「母親が自分を抑圧して我慢をする」と、結局はそのイライラや抑圧が子供に向かい、「子供が苦しむ」という話でもあるのです。

私の「夢解き」(夢療法)は、ゲシュタルト療法を土台としています。「精神分析」医からはじめたパールズが、ドイツの100年前の「アウェアネス(気づき)」や「表現主義」を吸収し、ホロコーストを逃れてニューヨークに移住後、鈴木大拙が伝えた禅の捨て身や自己成長、直観を重視する精神なども融合しました。いわば西洋と東洋が融合しています。

私の「夢解き」はすべて、夢を見た人の感受性・感情・直観を頼りに解いてゆきます。①夢を語る、②現在形で語り直す、③夢の中のモチーフを選ぶ、④それを描写する、⑤それになり切ってロールプレイする、⑥気づくことがある、⑦それが自己解放につながってゆく。

だいたいこんな風な流れになります。「夢解き」zoom無料セミナーは、コロナ以降の5月に初めて行い、4回やってみました。8人の参加者の時もありましたが、正直4~5人位がベストです。

「夢解き」で自分が分かる、自己解放に役立つ「気づき」が得られる、そのためにロールプレイで夢の中のモチーフになりきる。どれも感受性を開いた上での集中を要します。とりあえず経験を積んだ私と一緒にやることが大事で、効果が上がるのです。

ですから、私との対話の時間をそれぞれとるとすると、90分では4~5人がベストでした。夜の時間は、まだ空きがありそうです。アメーバで連絡下さるか、「まどか研究所」のメールやお電話で、お問合せ、お申込みをお願いいたします。

◆zoomは、パソコンかスマホがあればOKです。使い方は分からくても、お教えさせていただきます!!



私の場合は、子供の頃から本の著者になることが夢だったので、そこから人生が開けました。あなたの人生は、どこから開けるのでしょうか?自分でも分からない心の底に眠っている「夢」の扉を開いてゆきましょう。

「夢」は無意識への王道です。常識や思いこみにとらわれない賢さで、「夢」はあなたに、気づいたことを伝えようとしています。そのささやきに耳をすましてゆきますヨ!

『やさしさの夢療法』には、30代になっての失恋に絶望した中から立ち上がり、1年半後には別の彼とゴールインされたOさんのロングインタヴューも掲載しています。

◆ご購入は、こちら!(もしくはAmazonで)➡https://www.kyobunsha.co.jp/product/9784531062645/book.html

◆いま全国からzoom個人セッション(80分:12,000-、120分:18,000-)をお受けしておりますが、「夢解き」に関しましては、お友達と2人でシェアしていただくことも可能です。ご関心がある方は、是非ともまずは無料セミナーにご参加くださいませ。

◆「まどか研究所」03-5684-2563 090-3200-1157  vsopvsop@d7.dion.ne.jp

◆原田広美、成志プロフィール(ホームページの一部です) ➡http://madokainst.com/staff

◆記事の最初にありましたが、ライン公式アカウントのお友達 ➡https://lin.ee/A3SfkMi

では、コロナに負けずに、大変な中にも歓びを持って毎日を過ごしてまいりましょう!

(文責、@原田広美)最後の写真は、サンフランシスコにセラピーの勉強に行った時の仲間です(1991年)。



 

 

 

 

 
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